福岡地方裁判所 昭和49年(行ク)17号 決定 1974年9月24日
申立人 康本公澤こと康公澤
被申立人 福岡入国管理事務所主任審査官
訴訟代理人 泉博 外三名
主文
本件申立を却下する。
申立費用は申立人の負担とする。
理由
一 申立人の申立および被申立人の意見
申立人の本件申立ての趣旨および理由は別紙<省略>記載のとおりであり、これに対する被申立人の意見は別紙意見書記載のとおりである。
二 当裁判所の判断
1 申立人が被申立人に対して本件執行停止申立てと同時に、被申立人が申立人に対し、昭和四〇年四月二〇月発付した退去強制令書(以下、本件令書という。)が無効であることの確認を求める訴え(当庁昭和四九年(行ウ)第二八号退去強制処分無効確認請求事件)を、福岡地方裁判所に提起したことは、当裁判所に明らかである。
2 本件記録によれば、申立人に対する本件令書発付の経過とその執行の状況および申立人の本邦における行動歴は、昭和四二年一一月二日、申立人が再度東京医科大学病院に入院し、肺結核、膿胸肋骨カリエスとの診断をうけ、翌四三年六月二四日胸廓成形術、筋肉充填術の手術を受け、翌四四年二月二八日退院したこと、申立人は昭和四六年から実兄康公権の経営する栄工業株式会社の社員として勤務し、現在同会社B工場の責任者として約七五名の従業員を指揮監督する立場にあり、その間、昭和四七年一〇月には金良子(一九四二年四月一五日生)と結婚し、家庭生活を営んでいること、がそれぞれ認められるほか、おおよそ被申立人の意見書第一記載のとおりの各事実が認められる。
右事実によると、本案判決確定前に本件令書に基づく送還が執行された場合、その処分の性質からいつて、これによつて、申立人に回復困難な損害を生ずるおそれがあり、これを避けるべき緊急の必要があると一応推認することができる。
3 そこで申立人が本案につき本件令書を無効とする所以について考えるに、申立人は本件令書発付処分そのものに無効原因たる実体的ないし手続的瑕疵があると主張するものではなく、もつぱら本件令書発付後の時の経過ないし事情の変更による右令書の失効を主張するものであることは申立て自体から明らかである。
(一) 申立人は、先ず私法における時効制度ないし除斥期間制度の趣旨は申立人と被申立人との間の法律関係においても準用されるべきであるという法解釈を前提として、本件令書発付後九年余の月日が経過したのであるから本件令書の効力はもはや消滅したと主張する。
ところで、私法上の除斥期間は権利関係を速やかにかつ一義的に確定させるという目的を有し、そのためにこれについて中断がなく、またその期間が法律上明定されているものと解される。ところが出入国管理令には退去強制令書の効力期間についての定めがなく、また出入国管理行政は送還先の都合等に制約されるものであるから、その効力期間を一義的に定めることは実際的でもない。
また本件申立人と被申立人との間の法律関係についても私法上の時効制度の趣旨が準用されるとした場合でも、本件においては、いわば権利者たる地位の被申立人には、申立人の所在不明の間、いわば時効を中断する途がなかつたことになるわけである。
このように、本件における申立人と被申立人との間の法律関係について、私法上の除斥期間ないし時効制度の趣旨を準用するときは本件令書の効力はすでに消滅したとする申立人の主張は採用できない。
(二) つぎに、申立人は、前記のように本件令書発付後九年余を経た以上、私法上認められている失効の原則の適用が本件についても考慮されるべきであり、その結果本件令書の効力は失なわれていると主張している。ところで私法上、時効や除斥期間の適用のない権利についても、これを長期間不誠実に行使しなかつたときは、不行使という状態の上に築き上げられた相手方その他の関係者の期待や信頼を保護するため、その権利は権利としての存在を失うことがあるとするのが相当である。ところで今、仮りに一般論として、右のような失効の原則が退去強制処分者と被強制者との間の法律関係についても適用があるとした場合でも、前記認められた事実からすると、本件においては申立人側にこそ信義則違反の行為があるとはいえても、被申立人側には信義則違反となるような事情は一切うかがわれないのであるから、本件に私法上の失効の原則を適用するときは本件令書の効力はすでに失なわれている旨の申立人の主張も採用できない。
(三) さらに、申立人は本案において、本件令書発付後九年余も経過すれば、その間に特別在留許否についての判断のための諸事情も相当異なつてくるのであり、現時点では、特別在留許可を受けられる事情が発生しているかもしれないから本件令書の失効を認めるべきであるとも主張している。
しかし本件令書発付後、申立人に特別在留許可を与えうべき事情が発生したと仮定しても、これにより本件令書がさかのぼつて効力を失ういわれはなく、また、右事情の変更があつたとする時点において右令書が効力を失ういわれもないことは被申立人の主張のとおりであつて、申立人の右の主張も採用できない。
4 以上の次第であるから、申立人の本件申立ては本案についていずれも理由がないとみえるのでこれを却下することとし、申立費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 井野三郎 知念義光 岡光民雄)
(別紙) 意見書
意見の趣旨
本件執行停止の申立てはこれを却下する。
申立費用は申立人の負担とする。
との裁判を求める。
理由
第一本件執行停止の申立ては、本案について理由がないことが明らかである。
一 本件退去強制令書発付の経過とその執行の状況
(一) 申立人は大韓民国国籍を有する韓国人であり、出生以来引続き韓国に居住していた者であるが、昭和四〇年三月一九日有効な旅券または乗員手帳を所持することなく、他の密航者一二名とともに、韓国釜山市影島海岸より福岡県宗像郡沖の島に不法入国したところを福岡海上保安部員に逮捕されたものである<証拠省略>。
(二) 福岡入国管理事務所入国警備官は、同年三月二一日福岡海上保安部から通報を受け<証拠省略>、四月一四日出入国管理令(以下「令」という。)二四条該当容疑により、申立人に対する違反調査に着手し、同月一七日同事務所入国審査官に右違反事件を引渡した。入国審査官は、同月二〇日申立人に対し審査をなし<証拠省略>、同日令二四条一号に該当する旨認定し<証拠省略>、同日申立人に対しその旨通知した<証拠省略>。
(三) 申立人は入国審査官の右認定に服して、同日口頭審理を放棄したので<証拠省略>、福岡入国管理事務所主任審査官は、同日申立人に対し本件退去強制令書を発付し、同事務所入国警備官はこれを執行した<証拠省略>。
(四) 申立人は右退去強制令書の執行を受けるとただちに(四月二〇日)肺結核の治療を理由に仮放免許可願書を提出したので<証拠省略>、同事務所主任審査官は、東京都江東区北砂町五丁目四〇三康公権(申立人の兄)方を居住地として指定し、保証金一〇万円を納付させ、同日病気治療を理由として仮放免を許可し<証拠省略>、同月二七日右指定居住地を管轄する東京入国管理事務所に仮放免事務を移管した。
なお、申立人の仮放免許可願書提出に際し、身元保証人である康公権(申立人の兄)は、病状が回復すれば、責任をもつて早期自費出国させる旨の誓約書を提出している<証拠省略>。
(五) 申立人は、その後昭和四〇年八月二七日東京医科大学病院に入院し、手術を受け、昭和四一年八月四日退院し、同年一一月頃まで前記申立人の兄である康公権方に居住し、右病院に通院治療していたが、同年一二月ごろ康公権方をとび出し、その所在をくらませた<証拠省略>。
他方申立人の仮放免事務の移管を受けた東京入国管理事務所主任審査官は、申立人の治療経過をみながら、申立人に対し仮放免の許可を更新していたところ、仮放免の許可条件である昭和四一年一二月一九日の指定出頭日に、申立人に代つて身元保証人康公権の妻、洪性順が出頭し、申立人が同月一二日ごろ家出し所在不明となつていることを申告したので、主任審査官は、はじめて申立人が逃亡した事実を知つたのである。
そこで主任審査官は、翌二〇日令五五条一項の規定に該当するものとして、右仮放免を取消し<証拠省略>、同条三項により保証金一〇万円を没取するとともに、各入国管理事務所および関係機関に申立人の捜査手配方を依頼した<証拠省略>。
なお申立人は、本案の訴状において、東京医科大学病院に入院中に失踪したと主張しているが、右主張は事実と異なる。
(六) その後、東京入国管理事務所入国警備官は、申立人の所在を追跡調査していたところ<証拠省略>、申立人が千葉県松戸市五香六実五〇六の一に居住していることをつきとめ、昭和四九年七月三〇日同所において申立人に対し、仮放免許可取消書<証拠省略>および退去強制令書<証拠省略>を示して、これを執行した<証拠省略>。
そして現在、申立人を大村入国者収容所に収容中である。
(七) また申立人の出入国管理令違反についての刑事処分は、昭和四〇年四月一〇日福岡地方検察庁で起訴同年六月三日福岡地方裁判所において懲役八月、執行猶予三年の云渡しがあり、同月一八日右刑が確定している<証拠省略>。
二<省略>
第二<省略>